今朝には懸念していたほどの積雪はありませんでしたが、寒さは厳しく、真昼でもまだ溶けずに雪が残っていました。
子供の頃は雪が降ると嬉しかったものですが、お菓子を作る時間が増えてきた頃から「この雪が全部砂糖だったら…」とふと連想するようになりました。そのくらい、極寒の日のサラサラの新雪は、精度の高いグラニュ糖や粉糖のような手触りです。(レモンゼリーのプールを連想したジュディのようだ。と気付いて、後で反省しました…。)
さて、今日のような雪から連想されるのは、おそらく上白糖やグラニュ糖など、「精製糖」「白砂糖」と呼ばれるもの。けれど、気軽に思い浮かぶ名前を上げるだけでも、砂糖の世界はとても個性豊かで面白いです。
たとえば…てんさい糖、きび砂糖、素焚糖(粗糖)、和三盆、黒糖、上白糖、グラニュ糖、氷砂糖、粉糖、角砂糖、ザラメ糖、あられ糖、三温糖、マスコバド糖、ブラウンシュガー、カソナード、デメララシュガー、カスターシュガー、フロストシュガー…etc.
洋菓子に使われるお砂糖は、原料、加工方法、結晶の大きさ、用途、国や地域…等々、様々な理由から多種多様な名前で売られています。
それぞれについて遡ったり差異を調べたり、相性の良いお菓子について考えることも、とても楽しい底知れぬ函ですが、今回は当店で一番使うことの多い、グラニュ糖の話を少し。
当店のグラニュ糖は、甜菜由来100%のもの。甜菜は「菜」と付きますが、葉物ではなく蕪を大きくしたような根菜の一種です。農家さんには「砂糖大根」と呼ぶ方もいらっしゃるようです。
随分昔に一度だけ購入したことがありますが、土の香りが強く変色も早くて生食向きとは言い難く、煮ても焼いても不思議な甘みが強く残り、あまり美味しく料理できませんでした。甘いのに苦い記憶です。
名前のとおり、お砂糖の加工用に特化した野菜なのかしら…と思ったものです。(歴史を遡ったらナポレオンに行き着き、わくわくしたのはまた別の話…。)
当店で使用している砂糖は、北海道産の甜菜から作られています。後口の柔らかい甘さが特徴です。一方、サトウキビ由来のお砂糖は(黒糖が特に顕著ですが)、キリッと強い甘さが特徴だと思います。
「てんさい糖」という名でスーパー等でよく販売されているのは、淡い茶色の顆粒のお砂糖かもしれません。甜菜から砂糖を作る工程は途中で結晶と糖蜜に分かれ、茶色のてんさい糖は糖蜜を加工した含蜜糖。当店の白いグラニュ糖(や上白糖)は、結晶を加工した分蜜糖。原料は同じ甜菜です。
昔、「白砂糖は漂白したものだから体に悪い」という記事を読み、調べたことがありました。詳細は専門外で孫引きになってしまうためここでは語りませんが、調べた結果を自分なりに下記のようにまとめました。そして私は、「白砂糖害悪説」は、永年の誤解や混線の蓄積によるものと解釈し、お菓子には基本的に甜菜由来のグラニュ糖を使う様になりました。(サトウキビ糖でないのは、甜菜糖の後口の方がスッキリとしていて好みだったため。今でも、小豆を煮る時など、コクや香りや強い甘さがほしい時は、黒糖やキビ糖を使用しています。)
・グラニュ糖や上白糖の白は、雪が白く見えるのと同じ理由。結晶の純度によるもので、漂白加工等によるものではない。
・カリウム(塩分)は含蜜糖の方が若干多い。アクになったり、酵母などに影響する。含有量自体は、他の食材から摂る方が効率的な程度の差異。
・食材である限り、砂糖に限らず、適量の摂取は心身を支える口福。過ぎれば害悪。
【参考リンク】
▶白い砂糖の真実、そして三温糖との関係:alic 農畜産機構
(…砂糖の話には色々なWEBページや文献がありますが、特定の意図に偏らない&分かりやすい所からご紹介…)
WEBに限らず自分でもいろいろ調べてみて、上記の結論に行き着き、意外なほどホッとしたことを憶えています。(目に見えない何かに責められているような気持ちになっていたからかも知れません。そして調べる内に、特定の方向から何かを責めることは簡単だけれど、全方向に腑に落ちる形で反論することは難しいな。とも感じました…。)
食べものを作る末端に携わる以上、使っている食材のことは自分でも極力調べて考えて、納得したもの・安心なもの・良いもの(そして勿論、おいしいもの…!)を使って・作っていきたい。と考えています。それは、店を始めた頃も今も、変わらない軸の一つです。
白い雪を見ると、今も時々、「白い砂糖は体に悪い…」という記事を見た時のことや、スーパーに並ぶ白い砂糖(近年は、てんさい糖とさとうきび糖の両方を使用した「原料糖」を使われているお砂糖が多いようです)の裏側にいつしか書かれるようになった「漂白していません」という注意事項を思い出します。
勿論、何を良しとし・悪しとするかは一人ひとりの判断によるものなので、それぞれの思う「良し」の方向により、選択はそれぞれになるでしょう。その「選択」の「安心」のために情報を提供していくことも「誠実」の一つの形なのだとも思います。
ただ正直なところ、近頃は時々、その「安心」を望む「不安」は、どこに基づき、どこまで広がり続いていくのだろう?と、少しだけ不思議に心配に思うこともあります。もし、身近なものに対してもっと気軽に安心して、不安を憶えず選んだり楽しんだり出来たら、もっと息も深く吸えそうな、楽にのびのび過ごせるような、そんな気がするからかもしれません。
ぐるぐると考えはまとまらないままですが、何はともあれ、私は私の「誠実」と共に、「食べものを作ること」「お客さまにお届けすること」と向き合っていきたい。と改めて思った、極寒の粉雪の日でした。